2008年12月01日

小檜山 博氏の講演「地域の福祉文化を語る」

小檜山博さんの講演(1)
kohiyamahaku.jpg

11月30日 大江学園ノーマライゼーションフェスティバルで小檜山博さんの講演がありました。
お話は、「地域の福祉文化を語る」ということで、午後2時から1時間半、小檜山さん自身の半生を振り返る形で、静かに語りかけてくれました。
そのお話は、私の心にしみいるように深い感動を与えてくれました。
ともすれば忘れがちの福祉の心。その原点とも言うべきものを授かった思いでした。


小檜山博さんが福祉を知るきっかけになったこと

それは、銀山学園施設長が野村健さんだったときのこと。
自分の子どもとともに、銀山学園に泊めてもらったときのこと。
園生の生活ぶり、自分の子どもが園生と仲良くなっていく過程を見て、福祉を知った。


麻生首相の2兆円の給付金に関して

福祉の必要な人、医療が必要な人、仕事が無く困っている人が沢山いる中で、一体どんな考えで2兆円をばらまくのか。
2兆円と言えば、一晩に100万円を使ったとしても、5800年かかるという膨大な金額だ。
これをばらまくに当たって首相は言う。「プライドのある人は返すであろう」と。では、もらう人は、プライドがないというのか、こんな人を馬鹿にした話はないのではないか。


フィリピンに行ったときのお話

外国の文化は、挨拶の面で日本よりはるかに進んでいる。とういうか、日本がそれを忘れたというか。外国では、エレベーターであっても、どこであっても「コンニチワ」を言います。日本人にはそれはない。外国では、手がちょっと触れただけで「アイムソリー」という。日本人には知らんふりが多い。

フィリピンは非常に貧しい国です。ある村に取材に行ったときのことです。路上生活者が50人〜60人それぞれ段ボールの家に生活しています。そこを通りかかると、おばあさんが雑炊のような食べ物を鍋で温めていて、「一緒に食べないか?」という。また別の箇所でもおじいさんに同じことを言われた。とても貧しい国だから、食べ物もなく死んでしまうから、このようにみんな自然に「一緒に食べないか?」という言葉がでる。それが、挨拶になっている。

日本でも終戦後はそうだった。挨拶は、「ママくったか?」だった。これは、貧しさの中での思いやりの挨拶であったのだ。外国にはこれが残っている。日本はこんな大事なものを失ってしまった。

フィリピンのある農家に行ったときである。お米の収穫時に沢山の人が手伝いに来ていた。お米作りは機械もなくすべて人間の手によって植えられ刈り取られる。そして脱穀は板に穂をたたきつけるというやり方だった。そのやり方をみると、脱穀が終わった穂にはまだいくつかの米がついたまま捨てられていた。農家の主人に聞いてみると、それでよいのだという。手伝いに来ている人々は、貧しい人ばかりで、捨てられた穂についた米を一粒ずつていねいに自分の袋に入れていた。そして自分の家に持って帰るのだ。日本ならどうだろうか?1粒残らず綺麗にとって、貧しい人たちに分け与えてやるのではないだろうか?ここには、どんな違いがあるのか。日本では、いたわりの気持ちでお米を上げたという誇りの気持ちと、いただいた人には、ありがたいという気持ちと同時に施しを受けたという気持ちの負担が残る。ところが、フィリピンでは、捨てたものを拾うことから気持ちの負担にならないで持って帰ることが出来る。ここにフィリピン人の思いやりの気持ちを見た。


ニューヨークでのお話。

地下鉄に乗ったときのことです。若者が椅子に掛けていた。お年寄りが乗ってきた。若者は席を立って別の車両に移っていった。老人は何事もなかったようにそこに席が空いているから座った。
ただ、これだけのことです。日本ならどうでしょうか?お年寄りが乗り合わせてきたら、「どうぞ」と言って席を譲るのではないでしょうか?老人は申し訳なさそうに、「有り難う」といって席に座る。ここには、やはり席を譲ってあげた、良いことをしたという誇りがあり、一方老人には、わざわざ席を譲ってもらって済まないという負担の気持ちが残るかもしれません。ニューヨークの若者は、全くそんな事は考えずに、ただ、席は老人や席を必要としている人のためにあると思っているのでしょう。そこには、老人に気持ちの負担はありません。
老人に席を譲る率は、イギリスで63%、アメリカで51%、日本では19%という統計があります。
ここに文化の違いを感じます。
日本人はどうしてこんなにまで醜く落ち込んでしまったのか?
経済のめざましい発展により人間関係が崩れ去っていったに違いありません。
福祉についても、何かをやってやる、とか「ありがたいと思え」とか、なんと恩着せがましく傲慢な人が多いのでしょうか?


挨拶について

若者の中ではメールでお話をする人が大勢になっています。「コンニチハ」「オハヨウ」と言う若者がいません。「メールで挨拶したから」という。
メールは、文字ではありません。テレビと同じように映像です。(言葉と文字と映像の違いをあらためて考えてみてはどうでしょう?)

「コンニチワ」は「今日は?」と書きます。今日は元気ですか?ご飯をちゃんと食べましたか?と相手のことを思いやる言葉です。
「有り難うございます。」とは、あり得ないほどうれしい気持ちですという言葉です。
「行って参ります」とは、行って又ちゃんと帰ってきます、だから安心して下さい。という気持ちが込められています。
「行っていらっしゃい」とは、無事で行ってきちんと帰っていらっしゃいと言ういみです。
「ただ今」とは、まっすぐに帰ってきたよ。と言う意味です。
このように「挨拶の言葉」は、全て思いやりが含まれています。(これが、日本人の心、福祉の心に通じるものです。)


posted by はるあき at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
スポンサードリンク
dha epa α-リノレン酸 えごま油より手軽
不飽和脂肪酸のドコサヘキサエン酸 エイコサペンタエ...


天然マグロを100%使用したサラサラ成分で、
ドロドロの流れをスムーズにし、毎日の健康ケアにお...

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。